松江市奥谷町(まつえしおくだにちょう)にある道の名前です。尻(しり)には「後」「最後」という意味もあります。この道は曲がりくねってだんだん細くなり、最後は行き止まりになっていて、それがサザエの中身を思わせるので、この名前になったようです。ただ、道幅(みちはば)は広げられたようです。
行き止まりを右に曲がると石橋町の千手院(せんじゅいん)というお寺につながったいます。ただし歩いてしか行けません。
江戸時代には東餌刺丁(ひがしえさちちょう)と呼ばれ、鷹(たか)の餌(えさ)をとる専門の武士が住んでいました。この時代には、殿さまは鷹(たか)を使って狩りをしていました。これを鷹狩(たかがり)といいます。
また、やはり江戸時代には、城普請大工(しろぶしんだいく)という、お城の工事をする大工さんの竹内宇兵衛(たけうちうへえ)さんの家もありました。
さらに、宍道湖(しんじこ)と日本海をつなく人工の川である佐陀川(さだがわ)の工事の中心になった清原太兵衛(きよはらたへえ)さんの家もありました。現在でもその子孫の方が住んでおられます。令和4年(2022年)のときの子孫の方は八代目だそうです。
松江の珍しい地名『さざえ尻』 : 水郷松江噺 (livedoor.jp)