松江城天守(まつえじょうてんしゅ)・外側

ここでは、国宝・松江城天守(まつえじょうてんしゅ)を外側から見た特徴(とくちょう)を説明します。
〇国宝松江城のWEBサイト

 外から見ると4階ですが、中は5階と地下1階です。 高さは石垣(いしがき)を含めると30メートル、石垣(いしがき)をのぞくと22メートルです。
 壁(かべ)の黒い部分は厚い木の板で、湿り気(しめりけ)を防ぐために柿渋(かきしぶ⇒緑色の柿の実から作った液体)、すす、漆(うるし)などを混ぜたものをぬってあると言われています。木ですが燃えにくいそうです。この板がはってある壁(かべ)を下見板張り(したみいたばり)と言います。
 黒い部分の屋根は入母屋造(いりもやづくり)という形で、その上に周りを見張る望楼(ぼうろう)というものがのっています。こういった天守を望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)または望楼式天守(ぼうろうしきてんしゅ)と言います。
撮影:令和4年(2022年)2月10日
 屋根のてっぺんにふたつあるのは鯱(しゃち)と言います、全体の姿は魚で頭は虎(とら)で背中にはたくさんの棘(とげ)を持っているという想像上の動物です。火事から守ってもらうまじないとして置かれています。鯱(しゃちほこ)、鯱鉾(しゃちほこ)、魚虎(しゃちほこ)とも書きます。右が雌(めす)で左が雄(おす)です。撮影:令和4年2月10日 
 天守の望楼(ぼうろう)の一番上は手すり(高欄・こうらんとも言います)が付いていています。:撮影:令和4年(2022年)2月11日
真ん中に見える変わった形の窓は花頭窓(かとうまど)と言います。火灯窓とも書きます。中国から伝わった窓で、もともとは禅宗(ぜんしゅう)という仏教のお寺で使われていましたが、お城や家でも使われるようになりました。撮影:令和4年(2022年)2月10日
 屋根の三角形になっている部分を入母屋破風いりもやはふと言いますまた千鳥破風(ちどりはふ)と言われ、これが松江城の別の名前である千鳥城(ちどりじょう)の元になっています。天守ができたころには今よりもっとたくさんあったという説もあります。
 水屋根の下についている木の飾りと懸魚(けぎょ)と言います。もともと水に強い魚の飾りを屋根に付けて火事から守るまじないでした。松江城天守には野菜のかぶに形が似た蕪懸魚(かぶらげぎょ)というものが付いています。撮影:令和4年(2022年)2月10日
これも千鳥破風(ちどりはふ)と蕪懸魚(かぶらげぎょ)です。 撮影:令和4年2月10日
 ここの部分を石落としと言います。石垣を登って来る敵(てき)めがけて、ここから石や熱湯(ねっとう)、糞尿(ふんにょう⇒おしっこやうんこの混じったもの)などを落とすために作られました。塵落とし(ちりおとし)とも言います。撮影:令和4年(2022年)2月10日
 松江城天守(まつえじょうてんしゅ)では出入口のあたりがとび出しています。ここの部分を付櫓(つけやぐら)といいます。附櫓とも書きます。 撮影:令和4年2月11日
 天守の出入り口です。 できていますが、鉄が表面にはってあります。閉めた後でも、小さなとびらを開けて出入りできるようになっています。撮影:令和4年(2022年2月10日
 石垣(いしがき)の部分は天守台(てんしゅだい)と言います。この角の部分は、長い石の向きを互い違い(たがいちがい)に向きを変えながら積んであります。これを算木積(さんぎづみ)と言います。石のへりについているくぼみは、石を割るときに使った楔(くさび)という道具のあとです。 撮影:令和4年2月11日
 石垣(いしがき)の石の中には文字が彫られて(ほられて)いるものがあります。昭和25年から30年にかけて大々的な解体修理(かいたいしゅうり⇒ばらばらにして修理して組み立て直す)が行われていますが、それ参加した人の名前のようです。撮影:平成28年4月30日

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