国宝・松江城天守の近く・解説

 松江城は江戸時代の初めに堀尾吉晴(ほりおよしはる)という殿様が中心になって作られました。 別の名前を千鳥城(ちどりじょう)と言います。その中心にあったのが天守(てんしゅ)です。何度も修理をしていますが、江戸時代にできたころの木材がたくさん残っています。それらの一部は、松江城ができる前に島根県安来市広瀬(しまねけんやすぎしひろせ)にあった月山富田城(がっさんとだじょう)の物だったようです。
 明治時代の初めにこわされそうになりましたが、出東村(しゅっとうむら)、現在の島根県出雲市斐川町坂田(しまねけんいずもしひかわちょうさかた)の有力な農民で、銅の鉱山の仕事もしていた勝部本右衛門栄忠(かつべもとうえもんしげただ)さんと、そのお子さんの勝部本右衛門景浜(かつべもとうえもんかげはま)さん、そして松江の殿様の家来だった高城権八(たかしろごんぱち)さんという人たちが中心になって残す運動が起こり、こわされずにすみました。そして平成27年(2015年)に国宝(こくほう)になりました。 国宝(こうほう)とはとても価値があると、日本国が認めた物のことです。
 松江城は江戸時代からずっと松江の中心でした。そのため、この近くにはすてきな所やおもしろい所がいっぱいあります。
〇国宝松江城のWEBサイト

撮影:令和4年(2022年)2月10日
高城権八(たかしろごんぱち)さん
勝部本右衛門栄忠(かつべもとうえもんしげただ)さん
勝部本右衛門景浜(かつべもとうえもんかげはま)さん
湖都、水郷、城下町松江の気になる建築、街並み、景観等
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