和久邏山(わくらやま)

寝仏山の額(ひたい→おでこ)の部分が和久邏山です。標高(ひょうこう→高さ)は261.8mです。ここには昔、山城(やまじろ)がありました。

麓(ふもと)にある説明です。
〇原田五郎兵衛同左衛門太夫(はらだごろべえどうざえもんたゆう)という武将の城であり、ここに住んでいました。
〇この人は尼子(あまご)氏という武将の家来でした。
〇中心部以外に高さのちがう三つの平らな所(床・とこ)があり、そこに建物などがありました。
〇そのほかに馬場といって馬を飼っていたと思われる場所もあります。2023‎年‎3‎月‎7‎日撮影

両側が急傾斜(きゅうけいしゃ)になっている道です。人が作ったものです。土橋(どばし)と言います。敵が侵入してきたとき歩きにくくしています。
2024‎年4‎‎月‎6‎日撮影

頂上の近くが階段のようになっています。城を作るときにこのような形にしたと思われます。
2023‎年‎3‎月‎7‎日撮影

頂上は平らに削られています。本丸といって城の中心部です。木がたくさんはえている所が高くなっていますが、大切な建物があったのかもしれません。
何種類かの桜の木が植えられています。
2024年4月5日撮影

四角い大きな金属板があります。通信や放送の電波を反射してこれらが届きにくい所へ届ける装置です。無給電中継装置(むきゅうでんちゅうけいそうち)と言います。
昔は白く塗られていて二つありましたが、今は茶色で一つは土台だけ残っています。使われていないと思われます。
2024年4月5日撮影

ながめがとてもよいです。山城があったころ、遠くからくる敵を見つけたりするのに役立ちました。
2024年4月5日撮影

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