江戸時代に松江のお殿様だった松平不昧公(まつだいらふまいこう)はお茶が大好きでした。そのお茶は抹茶(まっちゃ)といい、粉になっていて専用の道具を使います。昔はとても値段が高く、これを飲むときには部屋を飾ったり、無駄(むだ)が無く美しい動きをするなど、いろいろ工夫をしていました。そういったことをものすごくつきつめたのを茶道(さどう)といい、その名人は茶人(ちゃじん)とよばれ、とても尊敬されてきました。不昧公もそのひとりで、お殿様だったことから大名茶人(だいみょうちゃじん)とよばれています。
不昧公(ふまいこう)は本名を松平治郷(まつだいらはるさと)といい、不昧(ふまい)というのは茶道をするときの別の名前です。「公」というのは、とてもえらい人のことです。
抹茶は今ではいろいろな食べ物や飲み物に使われています。また外国でもこれらが人気です。
茶道(さどう)でお客さんを呼んで特別にお茶を飲むことを茶会(ちゃかい)、そのとき使う専用の建物を茶室(ちゃしつ)といいます。それから、茶道は焼き物、お菓子、料理など、いろいろなものに影響をあたえています。松江は不昧公のおかげで盛んなものがたくさんあります。
明々庵(めいめいあん)は不昧公(ふまいこう)の好みに合わせて作られた茶室です。元は松江市殿町の有澤(ありさわ)さんの家にあり、不昧公(ふまいこう)もしばしば来られました。
その後、東京に住んでいた不昧公の子孫の家に移されていましたが、昭和3年に松江市菅田町(すがたちょう)の有澤山荘(ありさわさんそう)の向月亭(こうげつてい)という所の近く萩の台(はぎのだい)にまた移されました。
しかし、手入れがあまりできなくて荒れ果ててしまいました。そこで昭和41年に不昧公(ふまいこう)が亡くなられて150年たったの機会に修理して今の位置に立て直しました。